b0223593_10464173.jpg角田光代のファンである。
現代日本の病的で雑駁な人間模様を、ポップにもビターにもシリアスにも描くことのできる、言うまでもなく今を代表する女流作家の一人だ。
しかし、短編集『かなたの子』には、彼女のこれまでの作品とは異なる性質を感じる。簡単に言ってしまえばビターに過ぎる、苦い後味だけが残る作品群となっている。

この作品群で角田が描くのは「あの世とこの世の境」であり、「正気と狂気の境」である。これは、多くの文学のモチーフともなっている題材だが、ここに中絶、嬰児殺し、家庭内暴力、虐待、いじめなどの社会問題を関連させている点に、角田の独自性がある(嬰児殺しを題材とする『前世』で描かれる時代や場所は不明だが、貧困による嬰児殺しが慣習化していた時代の日本の一村と思われる。ただし現代においても、根源的には貧困を理由とする嬰児の遺棄は繰り返されており、作品の時代と現代とはつながっている。)

読後に感じることは、「この人たちにとってのあの世がこの世の救いとならないのはなぜなのか」ということだ。

物語の登場人物たちは、誰も、苦しみから解放されない。物語は彼等の孤独な苦しみの内実を確認するだけだ。はじまりの二作『おみちゆき』や『同窓会』は、『おみちゆき』で主人公が目の当たりにする、生きながら棺に入れられた僧侶の現世への未練に代表されるような、暗く重たい孤独の苦しみが描かれる。そう。彼等は皆一様に孤独だ。家族がいる、級友がいる、登山仲間がいる。けれども、そうした人々が彼等の内面に寄せる関心はほとんど描かれない。どの作品も主人公の視点から外れることがないので、それは、主人公自身の関心の表れである。周囲が自分に持つ関心への無関心と言えるだろうか。ごくわずかに表れる時にも、『道理』の朔美が主人公の敬吾に対して持っていたのかもしれない(と敬吾が最後に気付く)病的な関心の形をとってしまう。そうした孤独な主人公の見る「あの世」は恐怖の対象ではあっても、救いの源ではない。あくまでも夫の視点で描かれる『闇の梯子』の中で、妻がむしろ「あの世」に引き込まれ、次第に主人公をも誘うように、孤独は人を現世からあの世へと引き込んでいく。だからこそ、主人公達にとって「あの世」は恐怖なのではないか。

さて、前半の四作の主人公が男性だったのに対して、後半の四作の主人公は女性である。女たちは「産む」。そのことを中心に描かれる四作、『前世』『わたしとわたしではない女』『かなたの子』『巡る』では、過酷な現実の中で、「あの世」からの連なりの中で「現世」に生まれ来て死に行く子等に、「許されている」という感覚を、主人公達が朧ながらも持つ場面が描かれている。「産む」ことは、苦しみの源でもあり、ひとつの「救い」でもある。しかし、女たちもまた、「あの世」と「この世」とが交わる点を体内に宿すからこそ、「あの世」と断絶した「この世」の苦しみをより現実的に引き受けているかのようだ。彼女等の苦しみに関心を示す他者は、作品の中にはやはり表れない。

角田は確かに、この短編集で現代日本の病理の根源を鋭く付いているのかもしれない。それは、多くの優秀な若者を宗教の名を借りた狂気へと導いた事件の原因にもつながる。角田は、この病理の原因を、よく言われるような個人の他者への無関心や、他者からの無関心への絶望、としては描かずに、個人の他者からの関心への無関心として描いているのではないか。だとすれば、その指摘が私たちに与える示唆は大きい。

読後感の悪さは、だから、作品が、現実の社会の息苦しさを写実し過ぎていることによるのかもしれない。

 しかしこの苦しさに解決はあるのか?
 作者の応えを聞いてみたい。
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# by m_mw | 2012-06-18 10:36 | 読書録・reading memo

"Memory Wall" by A・Doerr(2011)

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形なきものに形を与え、消え行く幻影を捉えて映し出す、ドーアの筆技にはただ嘆息する他にない。

ドーアが、六つの物語に共通する精緻な場面描写で映し出すのは、記憶、そして痛み。

表題作の『メモリーウォール』と、最後の『来世』では、共に老女の記憶を中心に物語が進むが、これらの物語の背景には恐らく、現在ドーアの母が介護するドーアの祖母の存在がある。
『メモリーウォール』のアルマは、アルツハイマー病で失われ行く記憶を、カートリッジに焼き付けて留める。それは高額な治療法なのだが、記憶は彼女からは失われ、ただカートリッジに残るのみだ。けれどその記憶に興味を示す他者が現れる。記憶につけられた値段によって、物語はミステリーの要素を獲得する。そしてドーアは、その興味の対象をアルマの夫の情熱の対象だった化石とすることで、生物の記憶と人間の記憶という、共に科学の領域で長年扱われてきた豊かなモチーフの上に、純粋さと打算の分かち難さや、善悪の交差という深く人間的テーマを、織り込むことに成功している。いや、それだけではない。舞台が南アフリカであることによって描かれざるを得ない要素が、その他にも盛り込まれている。このように、多層なモチーフを、軽やかに暖かい物語に織り上げた最初の作品は、その後に続く作品群への期待を、否が応に高める。そしてドーアは、その期待を裏切らない。

『生殖せよ、発生せよ』では、不妊に悩むカップルのそれぞれの、『非武装地帯』では、戦地で病に伏す息子の手紙を待つ、妻に裏切られた男の心に、光を当てる。ダムに消えようとする中国の村を舞台に、『一一三号村』で描くのは、「記憶」と「物質」の関係だろうか。主人公は年老いた種屋で、彼女は、「種というのは植物が眠っている間にみる夢なのよ」、という母親の言葉を覚えている。『ネムナス川』の主人公は、両親を失った十五歳の少女だ。語られない悲しみとその共有、目に見えないものを信じるということ。物語の最後に加えられる、彼女をひきとったリトアニアの祖父は英語の、彼女はリトアニア語の過去形を習得した、というさらりとした報告は、言葉の前にある心と、心と言葉の関係とに気づかせる。言葉は光なのだ。そして『来世』は、ヨーロッパのあの悪夢を、自分ではわからない理由で選ばれて生き延びた老女に生き続ける、少女たちの記憶の話だ。老女に残された時間は少ない。表現する手段は失われつつある。その消え行く記憶を引き継ごうとするのは大学生の孫。物語の中では、誰も意識的ではないが、生き残った者は皆、記憶を留める役を担っている。ローゼンバウム医師がエスターに託した思いに読者はゆっくりと気がつくはずだ。エスターは生きて、そして少女たちのもとへ帰って行く。肋骨の浮き出た、身体に合わない服を着た、十一人の少女たちのもとへ。

今描かれるべきことを描いた、歴史に残る名作である。

そして本作の場合、翻訳家の手腕にも触れずにはいられない。
この著作の文章に宿る息づかいは、間違いなく翻訳家の力によるものだ。
「原作の息づかいをそのままに再現しただけ」と彼女が言うとしたら、それは謙遜だろう。
311の後の日本で、「人々の記憶」を描いた名作をこの名訳で読めることの幸せ。
岩本さん、ありがとう。
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# by m_mw | 2012-06-13 04:55 | 読書録・reading memo

ようやく

意味があるはず!

というところまで、到達してきた気がする。

あとはひたすら最後まで。

たとえるなら、仮縫いがもうすぐ終わりそうな気配、というか。

これが終わったらば、きついところとか、ゆるいところとか、鏡をみながら調整してと。

自分がまだまだなのだけは確かです。
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# by m_mw | 2011-09-22 17:40 | 暮らし・daily life
絶望の淵から希望へと至る「新生児の父親」バード27歳の「個人的体験」の軌跡。
長男誕生をめぐる著者の体験に基づく一連の作品のひとつである。

バードが、(本人にとっては)希望へと至る道を選択する瞬間、絶望の淵で依存した、またある意味では救いであった存在を捨たことに無自覚である(かのように描かれている)ところに、倫理の二面性が表されているのではないか。

選択することは捨てることであるという、単純な真理が描かれているに過ぎない、とも言える。

けれども、絶望と希望という二極に対応するかたちで、バードというあだ名に象徴される「子ども」の次元と「大人」の次元、あるいは火見子との「反道徳的関係」と妻との「家庭」を置くことで、著者が表そうとする「捨てられるもの」と「選ばれるもの」の価値に、簡単に賛成することができない時代にあって、単純な真理はそう単純ではない。

それでも選びとって行くための指標を、主人公が、彼が「個人的体験」の外で行った唯一の活動の中で見いだす場面は、著者の「ヒロシマノート」における体験と重なる。

"this poor little thing!"

そしてデルチェフさんは、「希望」ということばを、バードに贈り、
バードは「忍耐」ということばを、それにつないだのだった。

彼に似た息子を前に。
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# by m_mw | 2011-09-21 22:09 | 読書録・reading memo

タテタカコ

久しぶりに聞きたくなった。
泣けた。
泣けてよかったと、なぜか思った。



売らんかなの世界にまだ確かにこういう場所があって、
それが日本だということが嬉しい。
でもきっと世界中にひっそりと、こういう場所が実はあって、
疲れた人を守っているんだと思う。
一人の表現がそういう場所を作っている。
そのことを思う時、やはり私は、一人の人の誕生ほどにすばらしいことはないと思う。
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# by m_mw | 2011-09-10 18:04 | 読書録・reading memo