ニュージーランド。
国土面積268680㎡、人口427万人。
南太平洋に浮かぶ自然豊かな小さな島国で、今、ある戦いが進行中だ。

Saving Down’s syndrome

そう名付けられたこの戦いは、この国で年間50人生まれるダウン症児の親の一人、Mike Sullivanによってはじめられた。
彼らは、国が2007年に設置した『ダウン症とその他の障害のためのスクリーニングプログラム』が、国際法で禁止されている特定の集団を対象とした抹殺にあたるとして、ニュージーランド政府を国際刑事裁判所に訴えたのだ。(Reference number OTP-CR-178/11)

彼らの訴えはこうだ。

「国は明らかに、ダウン症児の出生数を減らすことを目的としてスクリーニングプログラムを計画し、このプログラムは現状において実際にダウン症児の数を減らしつつある。これは集団の抹殺に他ならない。」

その証拠は国の計画文書の中にある。
非公開の文書の中で、国は、このプログラムを提供する方がダウン症の胎児を中絶するよりも安いと明言している。

ニュージーランドでは、昨年からこの問題がテレビや新聞を通じて報道されてきた。

・July 3 2012 Morning
・June 30 2012 3news
・June 12 2012 "Down but not out"

ただし彼等は「出生前診断」そのものに反対しているのではない。
彼等は出生前診断が、ダウン症の胎児の出生を助けるためにではなく、予防するために使われることが、当然視されることに疑問を提起している。

彼等は、出生前診断は、生命を保護するために使われるべきだと主張する。

「なぜダウン症が中絶の理由となるのか?」

ダウン症の子を持つ親自身がこうした疑問を提起する中で、
同様のプログラムは、ダウン症の数を減らすという予測の中、欧米、アジアの各国で行なわれている。
もとをたどれば、明らかにダウン症の出生を予防することが目的とされている場合も少なくない。

そして今、母体血を用いたより簡便でより「安全」な出生前診断技術の臨床応用が世界各地ではじまっている。

小さな国の小さなグループによるこの戦いが、世界に投げかける問いは大きい。

日本も含めた国際社会は、彼らの訴えに真摯に耳を傾けるべきだ。
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# by m_mw | 2012-07-03 17:43 | 考えていること・thoughts
オリンピックが近い。
ということはパラリンピックも近い。
今年は、この二つの「リンピック」の間を横断する選手が登場するかもしれない。
その名は、オスカー・ピストリウス。
義足のランナーである。
健常者をしのぐその走りから「サイボーグ」の異名を持つ彼は、400mでは惜しくも大会出場タイムを出すことができなかったが、1600mリレーに選ばれる可能性が残されているらしい。
既に2011年には世界陸上への出場を果たしているが、スポーツの祭典にも革新をもたらすか、注目を集めるところだ。

それにしても、何故人はこうも走ることに熱中するのだろうか。
人にとって走るとは何なのだろうか。
理由はわからないけれども、胸打つ何かがあるのだろうと思わずにはいられない小説に、佐藤多佳子の『一瞬の風になれ』(2007)がある。
その後に続く、「走る小説」の先駆けとも言える、青春小説である。

主人公は高校生の男子二人。
走りの天才と、サッカー選手への夢に破れた努力家。
二人を中心に、走ることに青春の全てをかける陸上部員達の成長が描かれる。
舞台となる相模原の牧歌的風情が、彼等の切磋琢磨を清々しく見せていたように記憶している。

持って生まれた才能を見せつけられながら、自分の限界に挑戦することをあきらめないこと。
そんな青いテーマが、男子特有のユーモアに包まれた物語に仕上げられている。

読んだ当時、相模原に住んでいたので、とにかくはまりました。
で、『一瞬の風になれ』中毒にかかっていたある日、電車で聞いたんです。
「まじ、いいよね。『一瞬の風になれ』。次の巻早く買いたい。」
って、中学生の女の子が言うのを。

確かに、文体はヤングアダルトすれすれよね、と、大人きどりだった私は、ちょっぴりショックをうけてしまった。
でも、いいのです。良いものは良いのだから。
しかも、私大人だから3巻大人買いだぜ、なんて、心の中で威張ってみたり。
(大人??)

佐藤多佳子は、青春を描くのがうまい。
多分、人の矛盾や限界に出会ったばかりの柔らかい心の葛藤を、捉え続けているからだろう。
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時々、そんな世界に触れたくなると、彼女の作品を紐解いてみる。
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# by m_mw | 2012-07-03 01:18 | 読書録・reading memo
『アンジェロ・マンジャロッティの哲学とデザイン』
場所:イタリア文化会館
期間:〜6月30日

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# by m_mw | 2012-06-26 09:28
アンソニー・ドーアの処女作である。b0223593_10452157.jpg

「アメリカ」
それは、外にいる私たちにとって、新世界のパイオニアであり、最強の軍事力であり、科学と技術の最先端である。

けれど、内側から見たアメリカには、雪吹きすさぶ厳しい冬があり、雪解けの水をたたえ流れる川があり、その川の流れ込む豊かな海がある。人はそうした厳しく豊穣な自然の隙間で、互いを理解できない苦しさにもがきながら生きている。

ドーアの短編集『シェル・コレクター』は、「内なるアメリカの視座」を体現している。それは、外にいる私たちが、特に9.11の後によく耳にするアメリカではなく、たとえばヘミングウェイが『老人と海』で表したような静かな生命力を持つ、自然の中にある人間たちのアメリカだ。

私は、ドーアが、この短編集の中で「大学」という場に何度か言及していることに特に興味を覚える。

最初の作品、『貝を集める人』の主人公は、大学の教授職を引退した盲目の老貝学者である。『ハンターの妻』では、主人公の妻が「死者の記憶を見る」超能力を大学の「お偉方」の前で披露する。『ムコンド』では、アフリカの大地を疾走することで解放していたエネルギーの矛先を、オハイオでの陰鬱な生活で失ってしまった不幸せな妻が、大学の「写真初級」のクラスで復活する。

大学は「知」を産み出す場だ。
そして私たちの知る「アメリカ」の土台でもある。
しかし、「自然」は、人間の「本来」の姿は、そこで産み出される知の外側にあるのだということを、ドーアは描いているように思う。

「自然」を生きろ。

そんな声が、この作品からは聞こえる。

理解のできないこと、怒りを覚えること、悲しいこと、切ないこと、滑稽なこと、そうした人の生きることの諸々が、「自然」の中ではこんなにも愛おしい。
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# by m_mw | 2012-06-25 10:45
b0223593_1044993.jpgああもうこれは終末だ。
多くの人がそう思ったであろう3.11から1年半が過ぎた。
東京で、日々の生活を営んでいると、メディアを通じて繰り返される映像も、その映像について恐怖と驚きと悲しみのない交ぜになった感情で語り合う人々の姿も、記憶の遠方に位置付けられつつあるのを感じる。

だからなのか、最近ようやく、昨年8月にiアプリとして公開された池澤夏樹の『楽しい終末』を開くことができた。池澤を愛読する者としての義務感から、公開直後にダウンロードしたものの、「序」ですでに目眩を感じ、その後長い間、開くことができなかった作品である。

この作品について、多くの読者が「重い」と評しているが、私の感じた目眩の内実も「あまりに重い」だったように思う。しかしそこには、単なる内容の重さだけではなく、「預言者」的振る舞いに対する「嫌悪の感」も確かに加わっていた。「はじめに」で、池澤自身が「予言者となるつもりはなかった」と述べているにも拘らず、当時は池澤の行為が予言者のそれに見えた。

多くの人命が失われた。私たちは生き残った。生き残った今することが、終末を語ることなのか?失われた命は、終末の先陣だったとでも言うのか?

地下鉄に揺られながら、血の上った頭で、アプリを終了したことを思い出す。

しかし、今回ようやく落ち着いた気持ちで紐解くと、この作品の重要性を実感する。特に、「終末」を検討するためのはじめの素材として、絶滅した部族の物語をとりあげる工夫には、あらためて脱帽する。脱帽すると共に、終末を向かえた先人が、身体的欠乏の中で想像力をも欠いていく様に恐れを抱いた。

その渦中にいる人々がいかに「楽しく」とも、それはやはり欠乏に他ならない。これが池澤の警句だろう。

この作品の中で、池澤は「原子力」以外にも、我々を終末へと導く事例をいくつか挙げている。そのどれもが、私たちが何となく「そうなのではないのか?」と心の片隅で一度は思ったことのあるような事柄だ。しかし、2〜3年の調査に基づき積み重ねられた事実が、この作品に説得性を与えている。作品を科学的にしているとも言える。じゃあ文学じゃなくて科学でいいじゃないか、という考えがあるかもしれない。実際おそらく、ひとつひとつの事柄については、学術誌のどこかで検証されているのだろう。しかし、それらを「人間についての物語」としてまとめることができたのは、これが文学の領域にあるからだ。この作品によって私は、文学の意義を確信するに至った。

多くの実務が必要とされる時、それに携わるひとりひとりが、ミクロ、マクロな「想像力」を保ち続けることができなければ、人は実務に必ず付随する権力闘争の中で目的を見失うだろう。

文学はその「想像力」を培い保つ場を提供している。

これからは『科学技術白書』と共に文学を。

再稼働も決まってしまった今、結構真剣に、そう思う。
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# by m_mw | 2012-06-20 10:35 | 読書録・reading memo