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ようやく

意味があるはず!

というところまで、到達してきた気がする。

あとはひたすら最後まで。

たとえるなら、仮縫いがもうすぐ終わりそうな気配、というか。

これが終わったらば、きついところとか、ゆるいところとか、鏡をみながら調整してと。

自分がまだまだなのだけは確かです。
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by m_mw | 2011-09-22 17:40 | 暮らし・daily life
絶望の淵から希望へと至る「新生児の父親」バード27歳の「個人的体験」の軌跡。
長男誕生をめぐる著者の体験に基づく一連の作品のひとつである。

バードが、(本人にとっては)希望へと至る道を選択する瞬間、絶望の淵で依存した、またある意味では救いであった存在を捨たことに無自覚である(かのように描かれている)ところに、倫理の二面性が表されているのではないか。

選択することは捨てることであるという、単純な真理が描かれているに過ぎない、とも言える。

けれども、絶望と希望という二極に対応するかたちで、バードというあだ名に象徴される「子ども」の次元と「大人」の次元、あるいは火見子との「反道徳的関係」と妻との「家庭」を置くことで、著者が表そうとする「捨てられるもの」と「選ばれるもの」の価値に、簡単に賛成することができない時代にあって、単純な真理はそう単純ではない。

それでも選びとって行くための指標を、主人公が、彼が「個人的体験」の外で行った唯一の活動の中で見いだす場面は、著者の「ヒロシマノート」における体験と重なる。

"this poor little thing!"

そしてデルチェフさんは、「希望」ということばを、バードに贈り、
バードは「忍耐」ということばを、それにつないだのだった。

彼に似た息子を前に。
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by m_mw | 2011-09-21 22:09 | 読書録・reading memo

タテタカコ

久しぶりに聞きたくなった。
泣けた。
泣けてよかったと、なぜか思った。



売らんかなの世界にまだ確かにこういう場所があって、
それが日本だということが嬉しい。
でもきっと世界中にひっそりと、こういう場所が実はあって、
疲れた人を守っているんだと思う。
一人の表現がそういう場所を作っている。
そのことを思う時、やはり私は、一人の人の誕生ほどにすばらしいことはないと思う。
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by m_mw | 2011-09-10 18:04 | 読書録・reading memo

仙骨から思うこと

背骨の一番下に、仙骨、というのがありまして、大抵はそれが骨盤よりお腹側に丸まっているものらしいのですが、私は、ちょっぴり背中側に出っ張っているのですね。
多分、出っ張っていると言う程でもないのですが、なにせ板の間に直接仰向けになると痛いくらいなので、出っ張っているように感じるわけです。
それを家族に申しましたら、それはおかしいから医者に診てもらえ、となりまして、「そんな大事じゃないはず」と思ってはいたのですが、「整体なんかじゃ根本的解決にならん!」と言うもので、行ってきたのです。
先日。
そうしたらですね、こんな感じだったのです。

「うーん。そこは、寝たきりの人が一番床擦れを起こしやすい箇所なんですよ。出っ張っててもおかしくないんですがね。」

「でも痛いんです。」

「じゃあ、レントゲン、とります?」

(レントゲンとる)

「うーん。何でもないですね。まあ、疲労ですよ。湿布、出しときますね。」

で、お会計→ 6000円也。チーン。

なんでしょう。このもやもや感。
今まで、同じ理由で、ヨガと整体に行きまして、まあ大体同じくらいとられましたね。
でも、ヨガでも整体でも、「何でもない」とは言われませんでした。
「身体が固くなってるせいで、骨が丸まれなくなってる。」
というような、それなりに納得できる原因を、示してもらえました。
そして、原因を解消する方法まで、にこやかに教えてもらえたのですよ。
要するに、ストレッチしなさい、ということだったような。
方法が、ヨガと整体ではちょっと違いましたが。

何せ、ヨガは、太陽を拝むところからはじめないといけないので。

どちらにしても、せっかくの教えを守っていないのは、私の怠け癖のせいでして。
整体はよかったなあ、寝てるだけで、ストレッチまでしてくれる。

家族曰く、「湿布は効く!」
それは、否定しないんです。
でもね、それこそ根本的解決にならないではないですか。
どうせ根本的解決が望めないなら、6000円の費用対効果を求めるのが人情ってもの。
「何しにきたのー?」という不信感露な瞳よりも、「身体の不調を一緒に改善しましょうね!」という、キラキラした瞳の方を選んでしまいますよ。
つまり、私の不調は医の領域では「何でもない」ってことです。
良かった、良かった。。。のか?

で、家族に事の次第を伝えましたら、「スポーツ整形外科に行け!」となりました。
むむー。私の経験からはそんな選択肢は持ち得なかったのですよ。
判断には知識が必要。
そして財布の事情が最も重要な判断の要素ですので、今月は自主的に太陽を拝もうと思います。
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by m_mw | 2011-09-07 11:39 | 考えていること・thoughts

externalization

笑うと免疫力が上がるらしい、ということが、しばらく前に話題になった。
この本がきっかけだったようだ。
「笑う門には福来る」というのは、本当なんだなあなんて、思ったものだ。

磨き上げられたキッチンだとか、指でなぞってもホコリ跡のできないタンスだとか、
いわゆる「きちんとした家」ってのも、一家の健康に一役買うのだと思う。

福来てる家 → みんな元気 → 笑ってる
福来てる家 → みんな元気 → 家きれい

昔の人の導き出した理もあなどれない。
でも、こういう理屈から理に適わないストレスが生じるのは、
昔の人が理屈から道徳観を生み出したせいなのか。

ごく個人的externalizationについて、娘が椅子にこすりつけたチーズをはがしながら考える日々。

“…people come to forget that earlier encounters with standards have structured their later judgments, which leads them to confer an “independent reality” on what is, in fact, a subliminally standardized world” (Fuller, 1993: 135).
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by m_mw | 2011-09-07 10:54 | 暮らし・daily life

本当のきもち?

本を読んだりしていると時々、「あなたは本当は〜と感じているのだ。だから〜してしまうのだ」、というような言い方に出会う。大抵、なるほどな、と思う。そうか、私は「〜」と感じているのか、確かにその通りだなと思ったりする。でも、もう少し考えてみると、その「感じ」は、本にあるような言い方で表すこともできるし、他の言い方で表すこともできる、ということに気がつく。

そもそも、本にあるような行為の原因としての「〜の感じ」が、自分の感情の中でこれまでどれほど重要であったかも、定かではない。ただ、何らかの(大抵は自分でも問題だと思っている)「行為」と「〜の感じ」の関係性が論理的に示されたので、「〜の感じ」の重要性が増したに過ぎない。
何が本当か、なんて、本当はわからない。
自分のきもちであっても。

誰だって、そんなものだろうと、思う、今日この頃。
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by m_mw | 2011-09-02 16:16 | 考えていること・thoughts

without any reason

modified my biography a bit without any reason, don't worry pls.
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by m_mw | 2011-09-01 10:33 | 暮らし・daily life