<   2011年 05月 ( 7 )   > この月の画像一覧


「たとえ明日世界が滅ぶとしても、私はリンゴの木を植えるだろう」

(マルチン・ルター)

画家の山口晃さんが小学生の頃、地球温暖化に関する番組を見て、「みんな死んじゃう」と泣いた時、お父様はこの言葉を紙に書いて渡して下さったそうです。
3.11の後を生きる私たちの心に、そのことばは、あらためて深くに響きます。

人のことばを通じた祈りの連鎖に感動します。
[PR]
by m_mw | 2011-05-27 15:59 | 考えていること・thoughts

monday blue

さて仕事、となるまでの時間を、短縮したい。

雑事にとらわれる凡人故に。
[PR]
by m_mw | 2011-05-23 15:00 | 暮らし・daily life

コモンズ

あっちでは書き物に悩み

こっちではイベントの相談をし

そっちでは就活セミナーがあり

またこっちでは英会話教室

そんな中の方がなぜかはかどる
[PR]
by m_mw | 2011-05-16 10:10 | 暮らし・daily life

傾聴

「久しぶりに会いたいな」

と言う友達に

母校まで会いにいった日曜日。

「ああ、ここで、こんなことに気付いたっけ」

ふとした瞬間に、心に小さな変化をおこした場所さえ、覚えている。

特別な時間を過ごしたキャンパスを、ゆっくりと歩いた。

特別なあの時間から抜け出すのに、私たちは多かれ少なかれ苦しんでいる。

「あなたがたは世の塩である。」

と、言われて、送り出されてはみたものの。

傾聴の上手な彼女を、傾聴することが、うまくできなかった。

後は、祈ることしかできない。

生き延びろ、生き延びろ、生き延びろ。
[PR]
by m_mw | 2011-05-15 10:12 | 暮らし・daily life
毎晩、添い寝している。
寝ている顔は私に似ている。
起きている顔も私に似ているらしく、
「あなた一人で作ったみたい。」
と通りすがりのおばあちゃんに言われたこともあって、
それはちょっと激しく否定したかった。
なぜだろう。

さてそんな娘が、二日ほど前の晩どばどばっと吐いた。
育児書などには「噴水のように吐くのが続く時は病院へ」と書いてあるのだけど、
本当に、赤ん坊は噴水のように吐きます。
時には、目の前の母親目がけて。
吐いたことに自分でびっくりして、
「あ」
と、開けた口から吐き出された第二弾も母親を直撃。

あ〜また深夜の病院か〜。
と、思いながら顔を洗える余裕は、母親の成長の証。
一度目は泣きそうになりながら病院に駆け込んだっけ。
結局、吐くのが続かなかったので、翌朝一番に病院に行って、
「ウイルス性胃腸炎」ということになりました。

お医者さん曰く。

「まあ、でも、こんなに元気だったら全然心配いらないよ。」

それでも二日間、休園を命じられ、母も一緒にお休みさせて頂きました。
おかげで心身共に快調に。

元気もりもりな娘に感謝。
[PR]
by m_mw | 2011-05-13 12:14 | 暮らし・daily life
Sandel, M Justice (『これからの「正義」の話をしよう』鬼澤忍 訳)

今更ながら。

【第6章 平等をめぐる議論】

の、「利益に基づく義務」と「同意に基づく義務」に関する議論が興味深い。

美徳ではなく自由に基づいて「正義」を求める時、
契約によって発生する「義務」の「公正さ」は、
契約の履行によってもたらされる「利益」や、
契約への「同意」と両立できるのか、という問題。

今回の浜岡原発の停止についても考えさせられた。

まず前提として、私たち国民は、
国の選択に「暗黙の同意」(ジョン・ロック)を与えている。

次に、浜岡原発に関する今回の国の決定は、
国民に「利益」をもたらすかだが、
もたらすという立場からの議論は可能だ。

ただし、国は、事態収束後の原発復帰を、中部電力に確約した。
収束まで2,3年とみているらしい。
中部電力は、この確約に基づき、今回の停止を受け入れたとのこと。

したがって、私たちは二つのことに、
「暗黙の同意」を与えている、ということだ。

原発の停止と、
原発の再開と。

むろん、2,3年後の原発復帰が国民の「利益」となるという議論も、
可能ではある。

(ただしそのためには、これから先、想定外の地震と津波が付近を襲う可能性については、
「無知のベール」(ジョン・ロールズ)をかぶっていなくてはいけないが。この点は、議論しても平行線なので、触れません。この「無知のベール」の用法は正確ではないです。念のため。)

しかし何とも腑に落ちない。

なんだか国民も消費者も、あまりにも蚊帳の外ではないか。
税と電気代とリスクをかぶるという義務だけを背負って、
国と企業のてんやわんやを、見ている。

「暗黙の同意」を与えているとは言え、
この状況は「公正」なのだろうか?
と、考えてしまうのだ。

なんだか、雷に驚いて狂った馬の手綱を握って、
どちらに進むか決めかねている大名行列をながめる、
あわれな村人な気分ではないか。

今にも馬は村人の列に突っ込みそう、
というか、もう突っ込んだ。

ああ、ああ、来る来る。
こっちにも来るよ。

あ、見物人の後ろの方で、娘を背負って、つま先立ちしてる、
つぎはぎの着物を着た自分が見えたりして。

しかし、サンデル博士のあげた事例によると、
同意の仕方や、契約の内容が「公正」でない場合、
契約を履行する義務が発生しないばかりか、
不正な契約を強いた側は、詐欺の嫌疑をかけられる
らしい。

「!」

2,3年。
2,3年が勝負ですよ。
[PR]
by m_mw | 2011-05-10 13:47 | 読書録・reading memo

The Royal Wedding

まあ、好きな方なので、ライブ中継はやはり見てしまうのでした。
You TubeにThe Royal Channel が特設されるなど、中継をネット上で見れてしまうのが21世紀的。
世界中からコメントを寄せられるようになっているサイトもあったのですが、
そうした機能をどのように利用するかは、個人の自由であって、
善意と良識ばかりを期待するわけにもいかないようでした。

それにしても、今回気が付いたことは、他人の結婚式を心から楽しむには、
自分は年をとりすぎているようだ、ということでした。
結婚式ほど、家族模様が見えてしまう場はありません。
(たとえば映画『レイチェルの結婚』が描くように。)
時代が変わろうとも、家族が愛憎入り乱れる葛藤の場であることには変わりがない。
多分、国境を超えて、西洋近代的家族像を受容した国であればどこでも、
似たような家族の葛藤を、見ることができるのではないでしょうか。
それを知りながら、結婚式を楽しむには、まだ少し乗り越えられないものがあるようです。

それから、異なる階級、民族、ジェンダーの人々が教会に集うのを目の当たりにしながら、今回感じたもうひとつのことは、「寛大さ」こそが、西洋近代的な価値観の鍵なのではないかということです。
過ちを許すこと。多様性を認めること。
それを人の徳の基礎とする道徳的価値規範が、成員の多様化を必然の帰結とする、発展と拡大の思想を、支えているのではないか。

過ちや異質性に過敏に反応しすぎる、かつて鎖国を経験した国の風潮は、逆の思想、すなわち鎖国の思想を、温存させているのやもしれません。

あ、言い忘れるところだった。
ごくごく個人的な経験としては、結婚は、ひとつの奇跡です。
だから、ごくごく個人的に、おめでとうございます。
[PR]
by m_mw | 2011-05-01 05:35 | 暮らし・daily life