カテゴリ:読書録・reading memo( 16 )

『八日目の蝉』の別ヴァージョンとも言える作品。
言うなれば、「八日目」の世代として、私たちの世代を描いているように、私は思った。
そしてしかし、『八日目の蝉』の主人公、希和子は、ツリーハウスすら失ったのではなかったかと、読後しばし喪失感に浸ってしまった。

希望を書かなくてはいけないということを意識してきたと、大澤真幸との対談で、角田さんは言っていた。この作品には、確かに希望が描かれてあった。
けれど現代は、角田さんが描いたぎりぎりの希望さえ遠いもののように感じる人が多いのではないか。逃げたのではなく、逃げるのに付き合わされ、結果、何故なのかと解いながら、仕方なくツリーハウスを築くしかない。そんな人が多いのではないか。
一世代や二世代前と違い、逃げるという、ネガティヴではあるけれども能動的な動機を持たず、ハウスすら持たない、そうした人たちは、一体どこに自らの根を見出すのか。
今、私たちの世代が抱える問いは、むしろ、そういう問いなのではないかと思った。

大学紛争に参加した末っ子のヘルメットにあった「デラシネ」ということばが、妙に胸に刺さっている。
[PR]
by m_mw | 2011-06-27 23:10 | 読書録・reading memo
ツヴェタン・トドロフ 『われわれと他者ーフランス思想における他者像』法政大学出版会 1989。

「われわれと同じ共同体に属さないひとびとに対し、私たちはどのようにふるまうことができるのか。またどのようにふるまうべきなのか。」

→「 普遍主義」の逸脱である「自民族中心主義」と「科学主義」、そして相対主義の問題を指摘し、『批判的人間主義』を提唱する。

「人間の科学を自然の科学のうちに加えることはたちまちのうちに人間存在を科学の対象へと還元してしまうのである。」(p42)

→ディドロの批判 :「人間の本性」は科学ではなく哲学によって明らかになる。
→ルソーの擁護:人間の特徴は自己改善能力(perfectuabilite)にある(by ルソー)→ 人間は環境を拒否する能力を持つ。拒否する力=自由。

→コンドルセ:普遍主義者。真理の普遍性に基づく法構築を提唱。サンシモンの科学主義の基礎となる。
(理性=人間の普遍的本性 なので、理性は何が正当で何が正当でないかを評価できる、とコンドルセは考えた。)
→サンシモン:知識(科学)は行動(倫理)を導くと考えた。

トドロフは、「われわれ」は「批判的人間主義」に基づいて「他者」を取り扱うべきであると主張している。「批判的人間主義」とは、検証され続ける「分析の道具」としての普遍性に基づいて、倫理の正当性を評価する視点である。(と思われる。)

疑問:
→ 問題は、誰がどのように普遍性を検証するのか、なのでは。
普遍性を検証するというトドロフの立場と、科学主義との違いは、普遍性検証の方法を科学に求めない点にしか見出せないように思うが、直感的に方法の正当性が大きな問題としてあるような気がする。「科学でなければ何か。」という問いは、図らずも清水博の「次の救済者は誰か」という問いと重なる。清水は、「拡張された科学技術的方法」を提案しているが、トドロフはこれに賛成できるか?できないとすれば、どうやって検証するのか?
[PR]
by m_mw | 2011-06-23 01:12 | 読書録・reading memo
清水博 『場の思想』東京大学出版会 2003。

科学的理性の次に来る「救済者」とは?
→ 「拡張された科学技術的方法」の提案。
→ 共有可能な主観的領域の存在を選定として。
「場を作り出し、その場に自己を位置付けて存在する、そしてその存在の自己表現が場においてなされることが新しい場を作り出す。」創造的循環。
[PR]
by m_mw | 2011-06-23 01:09 | 読書録・reading memo
Sandel, M Justice (『これからの「正義」の話をしよう』鬼澤忍 訳)

今更ながら。

【第6章 平等をめぐる議論】

の、「利益に基づく義務」と「同意に基づく義務」に関する議論が興味深い。

美徳ではなく自由に基づいて「正義」を求める時、
契約によって発生する「義務」の「公正さ」は、
契約の履行によってもたらされる「利益」や、
契約への「同意」と両立できるのか、という問題。

今回の浜岡原発の停止についても考えさせられた。

まず前提として、私たち国民は、
国の選択に「暗黙の同意」(ジョン・ロック)を与えている。

次に、浜岡原発に関する今回の国の決定は、
国民に「利益」をもたらすかだが、
もたらすという立場からの議論は可能だ。

ただし、国は、事態収束後の原発復帰を、中部電力に確約した。
収束まで2,3年とみているらしい。
中部電力は、この確約に基づき、今回の停止を受け入れたとのこと。

したがって、私たちは二つのことに、
「暗黙の同意」を与えている、ということだ。

原発の停止と、
原発の再開と。

むろん、2,3年後の原発復帰が国民の「利益」となるという議論も、
可能ではある。

(ただしそのためには、これから先、想定外の地震と津波が付近を襲う可能性については、
「無知のベール」(ジョン・ロールズ)をかぶっていなくてはいけないが。この点は、議論しても平行線なので、触れません。この「無知のベール」の用法は正確ではないです。念のため。)

しかし何とも腑に落ちない。

なんだか国民も消費者も、あまりにも蚊帳の外ではないか。
税と電気代とリスクをかぶるという義務だけを背負って、
国と企業のてんやわんやを、見ている。

「暗黙の同意」を与えているとは言え、
この状況は「公正」なのだろうか?
と、考えてしまうのだ。

なんだか、雷に驚いて狂った馬の手綱を握って、
どちらに進むか決めかねている大名行列をながめる、
あわれな村人な気分ではないか。

今にも馬は村人の列に突っ込みそう、
というか、もう突っ込んだ。

ああ、ああ、来る来る。
こっちにも来るよ。

あ、見物人の後ろの方で、娘を背負って、つま先立ちしてる、
つぎはぎの着物を着た自分が見えたりして。

しかし、サンデル博士のあげた事例によると、
同意の仕方や、契約の内容が「公正」でない場合、
契約を履行する義務が発生しないばかりか、
不正な契約を強いた側は、詐欺の嫌疑をかけられる
らしい。

「!」

2,3年。
2,3年が勝負ですよ。
[PR]
by m_mw | 2011-05-10 13:47 | 読書録・reading memo
Kittay, Feder & Carlson, Licia. (eds.) Cognitive Disability and its Challenge to Moral Philosophy, Eiley-Blakwell, 2010. (途中)
[PR]
by m_mw | 2011-04-27 22:21 | 読書録・reading memo
高橋昌一郎『知性の限界ー不可能性・不確実性・不可知性』講談社現代新書(2010)
[PR]
by m_mw | 2011-04-26 11:57 | 読書録・reading memo