カテゴリ:考えていること・thoughts( 15 )

仙骨から思うこと

背骨の一番下に、仙骨、というのがありまして、大抵はそれが骨盤よりお腹側に丸まっているものらしいのですが、私は、ちょっぴり背中側に出っ張っているのですね。
多分、出っ張っていると言う程でもないのですが、なにせ板の間に直接仰向けになると痛いくらいなので、出っ張っているように感じるわけです。
それを家族に申しましたら、それはおかしいから医者に診てもらえ、となりまして、「そんな大事じゃないはず」と思ってはいたのですが、「整体なんかじゃ根本的解決にならん!」と言うもので、行ってきたのです。
先日。
そうしたらですね、こんな感じだったのです。

「うーん。そこは、寝たきりの人が一番床擦れを起こしやすい箇所なんですよ。出っ張っててもおかしくないんですがね。」

「でも痛いんです。」

「じゃあ、レントゲン、とります?」

(レントゲンとる)

「うーん。何でもないですね。まあ、疲労ですよ。湿布、出しときますね。」

で、お会計→ 6000円也。チーン。

なんでしょう。このもやもや感。
今まで、同じ理由で、ヨガと整体に行きまして、まあ大体同じくらいとられましたね。
でも、ヨガでも整体でも、「何でもない」とは言われませんでした。
「身体が固くなってるせいで、骨が丸まれなくなってる。」
というような、それなりに納得できる原因を、示してもらえました。
そして、原因を解消する方法まで、にこやかに教えてもらえたのですよ。
要するに、ストレッチしなさい、ということだったような。
方法が、ヨガと整体ではちょっと違いましたが。

何せ、ヨガは、太陽を拝むところからはじめないといけないので。

どちらにしても、せっかくの教えを守っていないのは、私の怠け癖のせいでして。
整体はよかったなあ、寝てるだけで、ストレッチまでしてくれる。

家族曰く、「湿布は効く!」
それは、否定しないんです。
でもね、それこそ根本的解決にならないではないですか。
どうせ根本的解決が望めないなら、6000円の費用対効果を求めるのが人情ってもの。
「何しにきたのー?」という不信感露な瞳よりも、「身体の不調を一緒に改善しましょうね!」という、キラキラした瞳の方を選んでしまいますよ。
つまり、私の不調は医の領域では「何でもない」ってことです。
良かった、良かった。。。のか?

で、家族に事の次第を伝えましたら、「スポーツ整形外科に行け!」となりました。
むむー。私の経験からはそんな選択肢は持ち得なかったのですよ。
判断には知識が必要。
そして財布の事情が最も重要な判断の要素ですので、今月は自主的に太陽を拝もうと思います。
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by m_mw | 2011-09-07 11:39 | 考えていること・thoughts

本当のきもち?

本を読んだりしていると時々、「あなたは本当は〜と感じているのだ。だから〜してしまうのだ」、というような言い方に出会う。大抵、なるほどな、と思う。そうか、私は「〜」と感じているのか、確かにその通りだなと思ったりする。でも、もう少し考えてみると、その「感じ」は、本にあるような言い方で表すこともできるし、他の言い方で表すこともできる、ということに気がつく。

そもそも、本にあるような行為の原因としての「〜の感じ」が、自分の感情の中でこれまでどれほど重要であったかも、定かではない。ただ、何らかの(大抵は自分でも問題だと思っている)「行為」と「〜の感じ」の関係性が論理的に示されたので、「〜の感じ」の重要性が増したに過ぎない。
何が本当か、なんて、本当はわからない。
自分のきもちであっても。

誰だって、そんなものだろうと、思う、今日この頃。
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by m_mw | 2011-09-02 16:16 | 考えていること・thoughts

義足のランナー

世界陸上、準決勝でビストリウス選手が走った。
テレビがないので、(そろそろ互いの学生時代からの、当時はそれなりの理由があった、でも今は惰性でしかないこのポリシーを変えよう家族と話している)、残念ながらライブでは見られないのだけれど、昨夜20:00に走るとAさんが教えて下さった。
結果はどうだったのだろう。
「義足の力を借りて」という批判があると伝えられる。
けれど義足を使いこなすのには、そのための筋力が必要で、ビストリウス選手は、アスリートとしての筋力を訓練によって手に入れた。健常の一流アスリートと比して劣らない努力と精神力の賜物だ。(本人は比べられるのすら拒否するかもしれないが。)

一人の人間が、誰も成し得なかったことを成す瞬間を目撃する。

観客が個人競技に感動する理由がそこにあるとしたら、
ビストリウス選手は間違いなく、今夏最も熱いアスリートだ。
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by m_mw | 2011-08-30 06:21 | 考えていること・thoughts

「たとえ明日世界が滅ぶとしても、私はリンゴの木を植えるだろう」

(マルチン・ルター)

画家の山口晃さんが小学生の頃、地球温暖化に関する番組を見て、「みんな死んじゃう」と泣いた時、お父様はこの言葉を紙に書いて渡して下さったそうです。
3.11の後を生きる私たちの心に、そのことばは、あらためて深くに響きます。

人のことばを通じた祈りの連鎖に感動します。
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by m_mw | 2011-05-27 15:59 | 考えていること・thoughts

3.11の求めに応じる

アンサウンドな議論を、アンサウンドだとあざ笑っている間に、「現実」は確実に積み重ねられ突如その本性を露にする。両派を共に驚愕させる形で。そして両派は「現実」にサウンドの何たるかを突きつけられ決断と行動を迫られる。しかし長年の議論の末、残されているのはアンサウンドな儀礼と懐疑。そして現実と文化との両方のために、我々が既に破滅への道の終局に到達しつつあるという恐れの感覚が、我々を支配する。ここ最近「我々」という連帯の意識を拒否してきた人々でさえ、この恐怖を前に自分たちが絶対的に「我々」から逃れられないということを認めざるを得ない。しかしもはや「我々」には「我々」として選びうる選択肢が残されていない。現実は「打開」を求める。「我々」はそれに応じる以外にない。現実の求めに応じきれる程の力が「我々」にあるのか否かは知れない。「我々」はあると信じて進む他にない。「我々」の力の科学的証明は、未来においてのみ可能である。一方で「我々」は過去においては未来であった今、過去において不可能であった「我々」の力の限界の証明を行っておかなければならない。「我々」は、知ってか知らずか、「我々」にはその力があると「信じて」進んで来た。そして現実はそれが不可能であったことを証明した。証明したのだ。そのことを、「あるがままに」受け止める技量が、今「我々」には必要だ。それが、「我々」が依って立つべきとされてきた、しかし再帰的批判にさらされてもきた近代的合理性から受け得る、最大の恩恵であるはずだ。
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by m_mw | 2011-04-26 10:08 | 考えていること・thoughts