技術と倫理の間で

誤解を恐れずに言えば、技術について語ることは容易い。
そのしくみは、いずれは誰にでも説明することが可能になる。
今の社会において、その技術がどのように利用されるべきか、という問いに対しても、
ある程度の回答を用意することは、困難ではない。

民主的な社会であろうとするならば、どのような事柄についても、社会にある限界の中で、最終的には自己決定を尊重することが求められる。
社会は、そのための支援を、個人に提供しなければならない。

けれども、自己決定を尊重することと、個々人が幸福になることや、社会がより善い方向に発展することとは、別の問題だ。
自己決定の結果として人生が暗転することもあれば、社会にとって最悪のリーダーを選んでしまう場合のあることを、私たちは個人としても集団としても、経験してきた。
特に、後者については、それが私たちの「自己決定」の結果であったが故に、
私たちは深い集団的反省を迫られてきた。

今、(いまだに)私たちに課せられている最も困難な課題は、
「個人の自由を尊重しながら、より善い社会を希求するには、どうすればよいのか」、ということではないか。
今も、私たちはこの課題に関連する、大小様々な事象に直面している。

私なりのこの問いへの、今のところの答えは、「より善い社会」の側を地道に整備していく、というものだ。
そのためには、「より善い社会とは何か」という問いについて、これまでに私たちが出してきた答えを尊重しながら発展させ、具体化していく必要がある。

この作業なくして語られる、技術の使い方に関する「べき論」は、末端で自己決定を批判することにつながりかねない。

自己決定は、それが賛同されるものであれ批判されるものであれ、全て、個人の精神の自由の基で苦しみを伴って生み出されるものである、ということに信頼をおきながら、
そのこととは異なる位相において、より善い社会のあり方を考える作業に、関わって行きたいと思っている。
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by m_mw | 2012-09-10 10:51 | 考えていること・thoughts