新しい出生前診断について

ここ最近、母体血中の胎児のDNAを調べて胎児の染色体異常を調べる検査に関するニュースが飛び交っている。
倫理的問題が懸念されると繰り返し強調される。
しかし確定診断ではないにしても、これまでにすでに提供されている検査を通して、間接的にではあるが染色体異常を調べる検査は既に普及している。
受検者数がさらに増加することが予測される以外に、今のところ、倫理的問題の内容はそれらの検査の場合とほぼ、変わらないはずだ。

これまでの議論をふまえれば、この状況において行なわなければならないことはすでに明らかだ。
まずは妊婦に対して適切な情報を適切に伝えること。これに尽きるのではないだろうか。
実際に検査を受ける段階では、医師と遺伝カウンセラーがその役割を担う。

しかし医師に相談する前に、妊婦に知らせるべきこと。
それは、第一に、この検査が「万能ではない」ということだ。
先天性の異常は、染色体異常だけではない。
また出生前にはわからない異常も数多く存在する。
そして言うまでもないが、検査によってわかることは、医学的に定義される「異常」のみであり、胎児が出生後にみせる性格や能力は何一つわからないのだ。
そうしたことは、産まれてみなければなにも、わからない。
メディアは、この点を十分に伝えているだろうか。

たとえば、染色体異常のひとつである「ダウン症」は、名前は良く知られた障害だが、実際にダウン症のある人がそれぞれ「どのような」人たちなのか、ということは、おそらくほとんど知られていない。
「どのような」ということは、個々人で異なるので、知る由もないとも言えるのだが。
メディアが伝える「ダウン症」の姿は、善くも悪くも断片的だ。

それでもなお、検査を受けたいという妊婦には、それぞれの事情があるはずで、最終的判断は、各々が納得して下せる環境が必要だ。

それにしても、ニュースでは検査費用が20万と伝えられる。
アメリカの企業が開発した、いまだ研究段階の検査であるとも伝えられる。
検査することそのものよりも、研究対象のリクルーティングのために、妊婦に無用な不安を与えることに、倫理的問題が懸念されるのではないかと思うが、どうなのだろうか。

かつて神聖な領域として扱われた生殖の過程に、この混乱と喧噪を招いているのは、まちがいなく「人間」である。

まずは、妊娠期が親と子が出会うまでの大切な準備期間であるという観点から、そして出生は社会が個人を迎え入れる最初の門であるという観点からの整備が望まれる。

付け加えれば、そのためには、胎児を人として認識し尊重する思想が必要ではないか。
死産した胎児を、生きて死んだ人と同じように荼毘に付す思想と、それは通じるものだ。
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by m_mw | 2012-09-07 10:02 | 考えていること・thoughts