『シェル・コレクター』Anthony Doerr (岩本正恵訳)

アンソニー・ドーアの処女作である。b0223593_10452157.jpg

「アメリカ」
それは、外にいる私たちにとって、新世界のパイオニアであり、最強の軍事力であり、科学と技術の最先端である。

けれど、内側から見たアメリカには、雪吹きすさぶ厳しい冬があり、雪解けの水をたたえ流れる川があり、その川の流れ込む豊かな海がある。人はそうした厳しく豊穣な自然の隙間で、互いを理解できない苦しさにもがきながら生きている。

ドーアの短編集『シェル・コレクター』は、「内なるアメリカの視座」を体現している。それは、外にいる私たちが、特に9.11の後によく耳にするアメリカではなく、たとえばヘミングウェイが『老人と海』で表したような静かな生命力を持つ、自然の中にある人間たちのアメリカだ。

私は、ドーアが、この短編集の中で「大学」という場に何度か言及していることに特に興味を覚える。

最初の作品、『貝を集める人』の主人公は、大学の教授職を引退した盲目の老貝学者である。『ハンターの妻』では、主人公の妻が「死者の記憶を見る」超能力を大学の「お偉方」の前で披露する。『ムコンド』では、アフリカの大地を疾走することで解放していたエネルギーの矛先を、オハイオでの陰鬱な生活で失ってしまった不幸せな妻が、大学の「写真初級」のクラスで復活する。

大学は「知」を産み出す場だ。
そして私たちの知る「アメリカ」の土台でもある。
しかし、「自然」は、人間の「本来」の姿は、そこで産み出される知の外側にあるのだということを、ドーアは描いているように思う。

「自然」を生きろ。

そんな声が、この作品からは聞こえる。

理解のできないこと、怒りを覚えること、悲しいこと、切ないこと、滑稽なこと、そうした人の生きることの諸々が、「自然」の中ではこんなにも愛おしい。
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by m_mw | 2012-06-25 10:45