"Memory Wall" by A・Doerr(2011)

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形なきものに形を与え、消え行く幻影を捉えて映し出す、ドーアの筆技にはただ嘆息する他にない。

ドーアが、六つの物語に共通する精緻な場面描写で映し出すのは、記憶、そして痛み。

表題作の『メモリーウォール』と、最後の『来世』では、共に老女の記憶を中心に物語が進むが、これらの物語の背景には恐らく、現在ドーアの母が介護するドーアの祖母の存在がある。
『メモリーウォール』のアルマは、アルツハイマー病で失われ行く記憶を、カートリッジに焼き付けて留める。それは高額な治療法なのだが、記憶は彼女からは失われ、ただカートリッジに残るのみだ。けれどその記憶に興味を示す他者が現れる。記憶につけられた値段によって、物語はミステリーの要素を獲得する。そしてドーアは、その興味の対象をアルマの夫の情熱の対象だった化石とすることで、生物の記憶と人間の記憶という、共に科学の領域で長年扱われてきた豊かなモチーフの上に、純粋さと打算の分かち難さや、善悪の交差という深く人間的テーマを、織り込むことに成功している。いや、それだけではない。舞台が南アフリカであることによって描かれざるを得ない要素が、その他にも盛り込まれている。このように、多層なモチーフを、軽やかに暖かい物語に織り上げた最初の作品は、その後に続く作品群への期待を、否が応に高める。そしてドーアは、その期待を裏切らない。

『生殖せよ、発生せよ』では、不妊に悩むカップルのそれぞれの、『非武装地帯』では、戦地で病に伏す息子の手紙を待つ、妻に裏切られた男の心に、光を当てる。ダムに消えようとする中国の村を舞台に、『一一三号村』で描くのは、「記憶」と「物質」の関係だろうか。主人公は年老いた種屋で、彼女は、「種というのは植物が眠っている間にみる夢なのよ」、という母親の言葉を覚えている。『ネムナス川』の主人公は、両親を失った十五歳の少女だ。語られない悲しみとその共有、目に見えないものを信じるということ。物語の最後に加えられる、彼女をひきとったリトアニアの祖父は英語の、彼女はリトアニア語の過去形を習得した、というさらりとした報告は、言葉の前にある心と、心と言葉の関係とに気づかせる。言葉は光なのだ。そして『来世』は、ヨーロッパのあの悪夢を、自分ではわからない理由で選ばれて生き延びた老女に生き続ける、少女たちの記憶の話だ。老女に残された時間は少ない。表現する手段は失われつつある。その消え行く記憶を引き継ごうとするのは大学生の孫。物語の中では、誰も意識的ではないが、生き残った者は皆、記憶を留める役を担っている。ローゼンバウム医師がエスターに託した思いに読者はゆっくりと気がつくはずだ。エスターは生きて、そして少女たちのもとへ帰って行く。肋骨の浮き出た、身体に合わない服を着た、十一人の少女たちのもとへ。

今描かれるべきことを描いた、歴史に残る名作である。

そして本作の場合、翻訳家の手腕にも触れずにはいられない。
この著作の文章に宿る息づかいは、間違いなく翻訳家の力によるものだ。
「原作の息づかいをそのままに再現しただけ」と彼女が言うとしたら、それは謙遜だろう。
311の後の日本で、「人々の記憶」を描いた名作をこの名訳で読めることの幸せ。
岩本さん、ありがとう。
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by m_mw | 2012-06-13 04:55 | 読書録・reading memo