『ツリーハウス』角田光代

『八日目の蝉』の別ヴァージョンとも言える作品。
言うなれば、「八日目」の世代として、私たちの世代を描いているように、私は思った。
そしてしかし、『八日目の蝉』の主人公、希和子は、ツリーハウスすら失ったのではなかったかと、読後しばし喪失感に浸ってしまった。

希望を書かなくてはいけないということを意識してきたと、大澤真幸との対談で、角田さんは言っていた。この作品には、確かに希望が描かれてあった。
けれど現代は、角田さんが描いたぎりぎりの希望さえ遠いもののように感じる人が多いのではないか。逃げたのではなく、逃げるのに付き合わされ、結果、何故なのかと解いながら、仕方なくツリーハウスを築くしかない。そんな人が多いのではないか。
一世代や二世代前と違い、逃げるという、ネガティヴではあるけれども能動的な動機を持たず、ハウスすら持たない、そうした人たちは、一体どこに自らの根を見出すのか。
今、私たちの世代が抱える問いは、むしろ、そういう問いなのではないかと思った。

大学紛争に参加した末っ子のヘルメットにあった「デラシネ」ということばが、妙に胸に刺さっている。
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by m_mw | 2011-06-27 23:10 | 読書録・reading memo