ツヴェタン・トドロフ 『われわれと他者ーフランス思想における他者像』法政大学出版会 1989

ツヴェタン・トドロフ 『われわれと他者ーフランス思想における他者像』法政大学出版会 1989。

「われわれと同じ共同体に属さないひとびとに対し、私たちはどのようにふるまうことができるのか。またどのようにふるまうべきなのか。」

→「 普遍主義」の逸脱である「自民族中心主義」と「科学主義」、そして相対主義の問題を指摘し、『批判的人間主義』を提唱する。

「人間の科学を自然の科学のうちに加えることはたちまちのうちに人間存在を科学の対象へと還元してしまうのである。」(p42)

→ディドロの批判 :「人間の本性」は科学ではなく哲学によって明らかになる。
→ルソーの擁護:人間の特徴は自己改善能力(perfectuabilite)にある(by ルソー)→ 人間は環境を拒否する能力を持つ。拒否する力=自由。

→コンドルセ:普遍主義者。真理の普遍性に基づく法構築を提唱。サンシモンの科学主義の基礎となる。
(理性=人間の普遍的本性 なので、理性は何が正当で何が正当でないかを評価できる、とコンドルセは考えた。)
→サンシモン:知識(科学)は行動(倫理)を導くと考えた。

トドロフは、「われわれ」は「批判的人間主義」に基づいて「他者」を取り扱うべきであると主張している。「批判的人間主義」とは、検証され続ける「分析の道具」としての普遍性に基づいて、倫理の正当性を評価する視点である。(と思われる。)

疑問:
→ 問題は、誰がどのように普遍性を検証するのか、なのでは。
普遍性を検証するというトドロフの立場と、科学主義との違いは、普遍性検証の方法を科学に求めない点にしか見出せないように思うが、直感的に方法の正当性が大きな問題としてあるような気がする。「科学でなければ何か。」という問いは、図らずも清水博の「次の救済者は誰か」という問いと重なる。清水は、「拡張された科学技術的方法」を提案しているが、トドロフはこれに賛成できるか?できないとすれば、どうやって検証するのか?
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by m_mw | 2011-06-23 01:12 | 読書録・reading memo